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発病しないための試み。
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 こうして、いちばん重要で難しい問題に出会うのは第三の点である。ここにあらためてポランニーのいう副次的意識と、私のいう述語的統合(体性感覚的統合の発展としての)の対比と関連づけがいっそう必然性を帯びてくるわけだ。実をいうと、先にポランニーのいう副次的意識あるいはfrom意識の分かりにくい在り様をいわば焙り出そうとしたときにも、若干は私のなかの述語的統合の考え方の嚮導によったのだが、いまようやく、述語的統合それ自体と副次的意識とを関連づけて考えることができるようになった。私のいう述語的統合とは、主語的統合が自己同一的で求心的な統合であるのに対して、差異化やずれを含み、拡散的で遠心的な動向を媒介にした統合のことである。というのも、もともと述語は、主語が概念的な自己同一性と結びつきやすいのに対して、言語的な自己差異化や自己拡散化を体現しているからである。こうした点については、かつてM・フーコーが「外部の思考」(『クリティック』誌、一九六六・六)のなかで〈私は考える〉との対比で〈私は語る〉を問題にして次のように書いて、そこに見られる特徴を明らかにしたことがある。すなわち、〈私は語る〉においては、語る〈私〉はおのずと断片化され、分散され、ばらばらになってしまう。〈私は考える〉は私の存在の疑いえない確実性に導いたが、〈私は語る〉のほうは、われわれを拡散させ外部へと導くものである、と。
 だが、述語と述語的統合のもつそのような性格をいっそうはっきり示すのは、主語的同一性にもとづく主語論理に対する、述語的同一性にもとづく述語論理であろう。すなわち、主語論理が、大前提=リンゴは果物である。小前提=すべての果物には食べ頃がある。結論=リンゴには食べ頃がある、というかたちの三段論法をとって、必然的に──つまり一義的な──結論を導き出すのに対して、述語論理のほうは、次のようなものとなる。大前提=りんごはまるい。小前提=乳房はまるい。結論=りんごは乳房である。これは、今わざと推論(三段論法)と同じかたちで示したが、もちろんりんごと乳房との結合は形式論理にもとづく論理的な同一性ではなくて、ただまるいという形態の類似によって結びつけられたものである。したがって、リンゴは乳房でなくても他のまるいもの、たとえばまるい風船とでも、地球とでも結びつきうる。つまりりんごは、まるいものとだったら、なんとでも結びつきうる。しかも、それらを結びつけるのは、欲求であり、願望であって、いわゆる論理でもなければ概念の同一性でもない。この《りんごは乳房である》と考えるような思考方法は、容易に気がつくように、精神病者(とくに分裂病者)に見られるだけでなく、ふつうの人々の象徴形成・象徴使用のうちにも、また芸術家たちの創造活動のうちにも見出される。そして、たとえば芸術家が、これと似たやり方で、ふつう無関係だとばかり思われている物同士を結びつけて、ものの見方や世界の見方を変えさせるのは、彼が類似したものにとくに鋭敏な感受性をもっているためだけではない。それとともに、主語的同一性の論理(アリストテレス的論理)によって統一されている現実の全体をばらばらに解体させる力をもっているためである。私のいう述語的統合も、このような述語論理につながる性格、つまり差異化や拡散を含んだ性格をもっている。
 述語的統合がこのようなものとして捉えられるとき、それは、ポランニーのいう副次的意識といろいろな点でいっそう重なり合うことになり、副次的意識に新しい光をあてうるはずである。そこで、副次的意識を述語的統合と関連づけて捉えておくと、次のようになる。
 一、副次的意識や近接項(基体項)は、述語的統合と同じく、本質的に暗黙知のなかにあって主語的ではなくて拡散的であり、したがって、それ自体は意味を帯びていないが意味発生の基盤をなしている。また、副次的意識はそれ自体は明記されえなくとも、明記されるものを支えているのである。
 二、さきに見たように、副次的意識は一見それとちがい無意識や意識の縁暈とはっきり区別されて、その実体性が否定され、〈から……へ〉へとひとを導く機能性あるいはむしろ関係性が強調された。そしてその関係性は論理的であるとともに暗黙的であるとされた。この暗黙的でかつ論理的(ロゴス的)であるというのはまさに、自然言語の、とくにその述語面の特徴だから、副次的意識(つまりfrom意識)と焦点的意識(to意識)との関係は、述語的な言語論理の関係として捉えるのがいちばんいいだろう。
 三、暗黙知において、副次的意識は、要因の細目を対象化するのでなく多面的に捉えることによって諸細目の間の固定化された関係を解体して、相互の間の新しい結びつきへの道をひらく働きをし、この点で、暗黙知のダイナミックスあるいは暗黙的統合は、想像力と直観をも含むことになる。こうして述語論理にのっとった述語的統合と想像力や直観と結びつく副次的意識とは、さらに近い関係にあることが分かる。
 四、ポランニーは副次的意識を実体化して無意識や意識の縁暈と同一視することを退け、それを機能的な関係概念としている。ところが彼は、外界についてのすべての知の究極の基盤はわれわれの身体にあるとし、しかも、自己の身体について感知するにふさわしいやり方は、身体を副次的意識によって捉えることだと言っている(暗黙知の次元)。これは私のいう体性感覚的統合とほとんど同じ働きであり、したがって副次的意識は、私のいう、体性感覚的統合とそれを関係概念化した述語的統合の両方の性格を合わせもっているのである。
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