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発病しないための試み。
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未知なる音楽を前にして、新しい音楽の聞き方を探り出していくと言ったような私の音楽の聴き方は当然の帰結として、フリージャズや現代音楽にまで触手を延ばす事となる。

しかし、そこまでいってしまうと、しだいに、もはや音楽とそうでないものとの境界自体が疑問に思えてくるようになる。

実は、私がキュビズムを通じて抽象絵画へと歩み出た、その行きついたさきもアンフォルメル(不定形絵画)という、絵画とそうでないものとの境界が曖昧になる次元だった。

ここまで来ると、自分の作り出すものよりも、そこいらにある、ゴミやスクラップのなかにある錆びくれ腐食したシミ・汚れや、木片や板きれなどの、ものの方が余程深みがあって、複雑な色や形が醸し出されていて、到底自分の及ぶところのものではないという、感覚に捕らわれるのであった。そうなると、もはやそういった表現自体の意味が分らなくなって来るのだった。もちろん、厳密に言えば、多くはそういった自然的構成物がそのままで、アートになるわけではない。例えば本場中国の柳麺が日本人の口に必ずしも合わないというところから、日本人の口に合うラーメンが生まれたように、自然界の造形もそのままでは人間の感性にあわないという理由で、アートという料理・調理が施されるのを必要とすると、考えることも可能だ。けれども、やはり一方で、花鳥風月などとったような手つかずの自然みたいなものを、愛でる感性が人間に、特に日本人にはあるではないか。そのような感性があるなら、芸術作品という料理法がどこまで必要なんだろうか、と思えてくるのだった。
つまり、結局自分は音楽を聴く事の果てに、アートを鑑賞し制作するという向こう側に、この住み慣れたこの世界や目の前に広がる大自然に帰り立つのではないかという事に思い至る。(つづく)
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