発病しないための試み。
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デュシャンとケージに出会ってからほどなく、失画症に陥った。悲しいかな、キュビズムから抽象絵画を経てアンフオルメルにたどり着いた、その傍らで彼らに出会ってしまった。さらに、’50〜’60年代の日本美術界の前衛華やかなりし頃の動向を知ってしまった。描く事の、意味を生成して行くことの驚きと感動を知ったのにもかかわらず、もはや社会的にはなんの意味も持ち得ないと思た。自分が知らなかっただけで、世間では過去のことのようになっていると、理解したからだ。自分としては、コペルニクス的大転換をしたつもりなのに、もはや何の自慢にもならないのだから、こんな悲しい事は、つまらないことはない(笑)。さいわい、もともと画家を志向していたというわけでもなかったので、救われていると言えたのかもしれない。だから、まだしも社会的な意味のあるデザインの仕事をする事にしたのだと思う。つまり、とりあえず、それで飯が食えそうだとい事でもある。
また、その当時こんなふうにも思った。物質的に充分豊かになった人間は、意識の進化を志向せざるおえない。人は描く事で実存世界と出会い、実存レベルとしての自己実現という意識の進化を志向するのだと。とすれば描く事それ自体に意味があるのであって、もはや鑑賞を主にした美術は終焉するだろうと。しかし、意識の進化を志向する美術は発展していくだろう。したがって、日本の未来は、誰しもがなんらかの形で創作活動に携わる、1億総アーティスト時代が来るかのもしれない。などと思ったのでした。
また、その当時こんなふうにも思った。物質的に充分豊かになった人間は、意識の進化を志向せざるおえない。人は描く事で実存世界と出会い、実存レベルとしての自己実現という意識の進化を志向するのだと。とすれば描く事それ自体に意味があるのであって、もはや鑑賞を主にした美術は終焉するだろうと。しかし、意識の進化を志向する美術は発展していくだろう。したがって、日本の未来は、誰しもがなんらかの形で創作活動に携わる、1億総アーティスト時代が来るかのもしれない。などと思ったのでした。
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