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発病しないための試み。
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今年に入ってから、大河ドラマ「篤姫」を見ている。
といっても、もう後半に入っている。

「篤姫」をよく見るようになったのは理由がある。

私の母方のそのまた母方の先祖は、薩摩の武士だったと聞いていたからだ。
もちろん(といっては先祖に失礼か。笑)、歴史上に登場するような人物ではない。
けれど、詳しくは知らないのだが、島津と聞けばなんとなく気になる。
親近感がある。



第三回の放送終了後の篤姫紀行で出水市が島津の発祥の地と紹介されるのを見るに、
俄然親近感がわいて来た。
出水市は私の両親の里にも近く、「誰それは、出水の学校に行ってる」とか
なんとか、度々話題に出る事も多かったからだ。
改めて母に訪ねてみると、子供の頃に「いちき串木野市」にあるお屋敷に行った事があるらしく、サーベルを腰にさし立派な髭を蓄え、胸に沢山の勲章を着けた、お爺さんの写真を見たと聞く。その写真を前に、お爺さんと一緒に、沢山の人とともに食事をした記憶があるという。

母の父、私にとっての祖父は漁師の子でありながら、神戸商船学校を出るという、
その英才ぶりを見込まれて祖母との縁談が結ばれたと大叔父より聞いている。
残念ながら、その祖父はフィリピン方面で戦死している。
プロフィールにある熊本県葦北郡は、祖父の故郷であり、母等の疎開先であった。
(薩摩)士族の出であるという意識のあった祖母は、
気位高くその土地であまりなじめなかったと言う。

どこでどう知り合ったかわ分らないが、母が尼崎(兵庫県)の生まれであるとか、
尼崎の日蓮宗のお寺の檀家であるところなどから、
どうやら戦前も尼崎に居をかまえていたようであり、
そこで、阪神間で、曾祖父と祖父は出会っているのかもしれない。

いずれにせよ、第二次大戦後、軍人であった曾祖父の家は衰退していったようである。

自分の事に思いをはせると、こういうのを没落と言うのかなと、思ったりもする。(笑)


という事で、「篤姫」を見ていると、そんな事に思いを馳せてしまう。
気にはなりながらも、なんだか、躍起になってそこいらの事を調べる事も、
気恥ずかしく思う。

なので、誰かその親戚筋にあたる人が、もしも検索等してこのブログにたどり着いたりしたなら、
何か教えてほしいと思うのだった。
その姓は珍しいので、それだけで親戚にあたるのかもしれないと思う。
その姓は「小屋敷」と言う。

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