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「自閉症の現象学」について少々。
私が自閉症に関心を示すのは、
他ならず私の子供が高機能自閉症だからだが、
私自身も(フィクショナルな理念値としての)定形発達者と比べれば、
自閉症者よりの人間だと言う事が出来るのだと思う。
子供がそういった発達障碍ということもあり、いくつもの関連本を読んで来たが、
著者本人も「内側から経験構造を明らかにしようとする」と述べているように、
これ迄のものと比べ、かなり肉薄出来ているように思う。
多少の異論がないわけではないが、
最初に興味を引かれた部分を、少し紹介してみたいと思う。
「自閉症の現象学」より
次に、この感性野の純粋な自己組織化を情動性という側面から考える。先ほどのウィリアムズからの引用で、紅色の街灯に悦惚とする場面がよい例となるだろう。視線触発もなく対象もない世界では、対人関係の関係する感情は触発されない。つまり憎しみや愛情、悲しみといった感情はなくなる。出発点として、情動性のなかで少なくとも快と不快が保証されるだろう。快と不快は、感覚の調和と混乱および強度の受容の度合いに基づくと推測される。つまり快と不快、調和と混乱から体験世界が成り立っていることになる。しばしば見られる自閉症児の極端な偏食は快不快の原理が裸出していることを示している。不快なものは排除・回避し、快適なものを摂取するのである。以上の特徴の結果、しばしば「事物との一体化」と言われるような状態が生まれることになる。これは自己感のない状態で単純なパターンだけが意識を占めている状態である。
しばらくすると私は、自分が望むあらゆるものに一体化できるようになった。例えば壁紙やじゅうたんの模様、何度も繰り返し響いてくる物音、自分のあごを叩いて出すうつろな音などに。人の存在さえ邪魔ではなくなった。飛び交うことばは低くうなる雑音となり、話し声は、寄せては返す音の連なりでしかなくなった。
多くの高機能自閉症を持つ人が、この体験を美しいものと表現している。感性的印象が運動感覚や視線触発と結びつくことなく、そして言語とも結びつくことなく意味を生成するとき、それは美と名づけられるのであろう。このような世界はまさにカントが『判断力批判』で議論したものである。カントが示したとおり、美とは(形を作り出す力である構想力において)感性の自己組織化が生み出す快である。つまり概念による規定なしに(そして同時に自我のかかわりなしにひとりでに)感性的な形が生成する。自ずと形が生成し変化する中で、経験は連続性を保つ。この経験そのものは否定性の介在しない肯定的なものであり、本人にとっては快適でポジティブなものである。帯同行動・こだわり・感覚遊び、血とと呼ばれる自閉症児の行動、すなわち、頭を叩き続けたり、水滴を見続けたり、ひもを回し続けたり、ミニカーのタイヤを注視し続けたり、といった同じ感覚を再現する行動は、それ自体としては障害でも欠損でもない、快適で美しい体験のはずである。これを入間の可能性のひとつとして位置づけることができる。定型発達の人においても、風景に見入っている場合のように、条件が揃えばこれと似た美的触発の世界が成立する。
コンディヤックをはじめとして、カント、ヘーゲル、フッサール、メルロ"ポンティなど、近代西欧の哲学者の多くが感覚を議論の出発点としてきた。しかし実は自閉症児にとってのみ、純粋な感覚の世界が経験の出発点となる。定型発達にとっては純粋な感覚というのは出発点ではなく、抽象作用の結果得られる帰結である。言語や自我、悟性、対人関係をかっこに入れたときに出現する可能性の極限値の一つである。たとえば二〇世紀の抽象芸術の冒険は、この極限値を可能性として追求したも…のとして特筆されるだろう。カンディンスキーの神話的な逸話によれば、写生をしていたキャンバスを間違って横向きにおいたときに、「なんだかわからないもの」が描かれているのを見て、つまり事一物の対象性が剥奪されることで、彼は抽象の世界を発見することになる。対象から出発して、自閉症児と同じような純粋な形態と色の戯れへと遡行するのである。そして自閉症児の描画は、一見文化的な対象を描いているとしても、その文化的な意味は持っていない(第四章の写真を参照)。純粋に形象に迫ろうとする衝動を持っている点で、セザンヌが模写を通して事物の対象性を剥奪し、図形へと還元しようとした衝動とよく似ている。あるいは先ほどのウィリアムズの紅色の光に没頭する体験は、モネやターナーのもつ、知覚野を色彩の運動に還元しようとする衝動とよく似ている。ウィリアムズが、街灯の知覚から紅色の触発へと遡行するように、モネにおいては睡蓮が水色の色彩の触発に、ターナーにおいては海の嵐が色彩の運動へと遡行するのである。もちろん画家たちは20世紀以前からそのような純粋な美的触発へと誘惑されていたのであり、カラヴァッジョの斜めに注ぐ光やフェルメールの黄色を思い起こすこともできる。
純粋な受動的総合としての自閉症の世界ところで、フッサールは、音がひとりでに連合してメロディーを形成し時間的連合)、いくつかの光の瞬きがひとりでにひとつの星座をなす(空間的連合)仕組みを詳細に明らかにし、受動的総合と名付けた。感覚刺激に没頭する自閉症児の世界は、このような感性野がひとりでに組織化する現象が、純粋な姿で実現している状態である。フッサールの記述は、「ヴァイオリン」や「遠くの街の明かり」といった自我の作動を前提とする文化的事象として記述せざるをえなかった点で純粋ではないが、これは必然的な結果である。言語能力を持つ現象学者にはこのようにしか記述できないのであり、反省という方法の限界である。
自閉症児の感覚遊びにおいて、フッサールが描こうとした「受動的総合における自我不在」の意味が明らかになる。受動的な感覚連合に身を任せるとき、子どもは「ミニカー」という文化的な意味を持たないばかりでなく、自己意識が成立していないため、文字通り「われを忘れて」、タイヤと大人が呼ぶ黒くて丸いものの回転に没頭する。すでに見たように、彼らは運動感覚への気づきを持ちにくいので、自ら動かしているという意識を持っていないと思われる。このような能動的自我の解除と身体的な自己感の欠如、あるいは自我未成立の現象こそが、感性的印象が自己組織化する受動的総合が裸出する経験である。
自我を解除した状態で同じ感覚を反復する行動である常同行動を、自我を持った大人が観察したときには、(自我が現実世界とのコンタクトを失って)空想に没頭しているようにも見える。そこで解離現象として記述されてしまいがちであるが、実際には自我からの解離という否定的経験ではなく、自我が生まれていない段階での感覚の自己組織化に充足した状態である。こうして常同行動を、否定性を介さずに記述する現象学的な基盤が得られた。美的触発であり、感性野の純粋な自己組織化としての受動的総合がそれである。
以前、自閉症の青年にギターをとおしてリズム感と時間の感覚を伝達させていただいたことがあります。
他にも鬱と言いながら、実は外向性(造語です)自閉症の友とも時間を共有してきました。
小生の中では、至って正常で、他と何ら異にするものは無く、単に几帳面で、神経質且つ自分を表現する方法や方法論を学んでいないだけで、さらに、自己を理解してもらいたいという欲求が人一倍強い。
何かに対してのレスポンスや自己の反応を自己のルーティーンの中で準備して居ないことへの直面に弱く、対応・反応回避行動が取れない事を極端に恐れる。
人間らしい人なんだというのが、結論です。
いわゆる、分裂症:統合失調症(知人がそうなので残念ですが、)とは少し違う気がします。
でも、統合失調症も、もしかしたら自己の否定に耐えられないくて起きるのではないかと時々思います。
昔の言葉に多勢に無勢って有りましたねえ。
常識とか一般的とか普通って全部、社会の中で人が生きてゆくのにやり易いように、人が勝手に定義して形を作ったものだと思います。
まあ、法的なものは別としても・・・。
そんなモノにはまろうとしたり、はまらせられるから、病に為るのだろうと思います。
その一般論が正常だとは限らないですしね。。。
だから、小生は、自閉症も統合失調症も病気だとは思ってないんです。
決して、自閉症や統合失調症が、少数派だから、病気ではないから、大きな問題ではないと思っているのではなく、
考え方の尺度と角度を変えると、身近なものであると感じたいし、そうなのではないかと
思っている・・・という私見です。
返事がおそくなり、申し訳ありません。
私めのブログからいろいろ
考えをめぐらせてもらって、
少しは誰ぞの何かの役にでも
立てているのでしたら、
うれしく、ありがたく思います。
いえ、いろいろと考える事がありまして。
仕事のことやら、暮らしの日々の事やら、
跳んで、政局のことやら、なんやら…。
ブログに書こうと思いながらも、
(宗教批判等も有りで)怖いくて躊躇していたりで、
書けないでいるところでもあります。(笑)
自閉症については少し離れ気味で居ました。
でも、よく考えてみると、
自分は自閉症についてこういう姿勢だ、
ということが今ひとつつかめていない、
あるいは言葉にできていないようにも思います。
おかげさまで、
前々回に紹介した「自閉症論の原点」を
読んでみたいと思うようになって来ました。
また懲りずにたまにはのぞいてみて下さい。
よろしくお願いします。
あ、それと今回の内容は、
私自身はアスペクトドーニングと関連大の
内容だと思っています。
ヴィトゲンシュタインも専門家での中では
高機能自閉症だとも言われていますし…。
では、また。
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